先日某掲示板で、「ご教示」と「ご教授」の使い分けについて凄く議論されてました。
時々言葉に凄くうるさい人っていますよね。 ら抜き言葉を毛嫌いしている人とか。 彼らの言う「正しい日本語」とは何でしょうか。
言葉なんて文法や、単語の意味や使われ方、発音も含め時代と共に変化しています。 これこれこれが正しい日本語。 なんて過去1度も定義なんてされてないと思うのですがどうなんでしょう。
国語の教科書だって、結構怪しいものです。 夏目漱石だって正岡子規だって「い抜き言葉」を使ってます。
よく一人舞台の事を独壇場(どくだんじょう)と言いますが、元来こんな言葉はありません。 独擅場(どくせんじょう)の書き間違いだか読み間違いから始まった言葉です。
歌のさわりの部分の「さわり」も歌い出しの部分の事ではありません。 一番の聞かせどころ・盛り上がりの事でこの場合はサビの部分にあたるでしょう。
物事を中断して退く場合などに、ここがしおどきとか言いますけど、「しおどき」は何かを行う時に最も都合の良い時期。 という意味です。
檄を飛ばす。 というのも、人に叱咤激励するとかいった意味ではありませんし、他にも、姑息・すべからく・ぞっとしない・憮然。 とか、元の意味とは違った使われ方をしていますね。
言葉って、主語を省略してみたり、名詞を動詞化してみたりと、その時代時代の合理に合わせてゆるやかに変化しています。
どこまでさかのぼれば正しい日本語なんでしょうか。 ハ行転呼以前ぐらいまでいけばいいですか?
確かにあらたまった場では、こういう風に言うべき。 みたいなガイドラインはありますが、あんまりアレはダメコレもダメって縛り付けるのもどーかと思うわけですよ。
私はいわゆるバイト敬語も、なーんとも思いませんし、ら抜き言葉推奨派です。
新しい言葉や使われ方があるのなら、最近はそういう表現をするんだねー と思うぐらいのゆとりを持って欲しいものです。 言葉はナマモノですよ。
ところで、正しい日本語を話しましょうとおっしゃってる方々は、正しい日本語を話しているのでしょうか? ちょっと気になります。
正しい日本語
Re: 正しい日本語
日本語なんてたかが道具なのであって意図を伝えるという目的さえ達成出来れば
それ以上の価値はないものなのに拘る人がいるみたいですね。
困ったものです。
それ以上の価値はないものなのに拘る人がいるみたいですね。
困ったものです。
Re: 正しい日本語
教示-
[名](スル)《「きょうし」とも》知識や方法などを教え示すこと。示教。「御―を賜りたい」
教授-
[名](スル)
1 学問や技芸を教え授けること。「書道を―する」
2 児童・生徒・学生に知識・技能を授け、その心意作用の発達を助けること。
3 大学や高等専門学校・旧制高等学校などで、研究・教育職階の最高位。また、その人。「大学―」
(いずれもYahoo辞書からの引用です)
以上を踏まえて、教えるほうは「教示」で、教えてもらうほうは「教授」ですね。
[名](スル)《「きょうし」とも》知識や方法などを教え示すこと。示教。「御―を賜りたい」
教授-
[名](スル)
1 学問や技芸を教え授けること。「書道を―する」
2 児童・生徒・学生に知識・技能を授け、その心意作用の発達を助けること。
3 大学や高等専門学校・旧制高等学校などで、研究・教育職階の最高位。また、その人。「大学―」
(いずれもYahoo辞書からの引用です)
以上を踏まえて、教えるほうは「教示」で、教えてもらうほうは「教授」ですね。
Re: 正しい日本語
「さわり」は歌い出しのことだし「しおどき」は引き際のことですよ。
#というのは冗談として。
掲示板で質問の最後に「ご教授ください」と書くのは間違っている(大袈裟過ぎる)と主張するひとには「ご教示ください」と書くのが正しい対応だと思います。
そうじゃないひとには「ご教授ください」と書いても良いと思います。
「ご教授ください」が正しいという主張は見たことがない気がするので「ご教示ください」と書けばトラブルは減る気がします。
意味なんてどうでもいいんです。
意図を伝えるためなら「教えてください」のほうがもっと良いと思います。
#というのは冗談として。
掲示板で質問の最後に「ご教授ください」と書くのは間違っている(大袈裟過ぎる)と主張するひとには「ご教示ください」と書くのが正しい対応だと思います。
そうじゃないひとには「ご教授ください」と書いても良いと思います。
「ご教授ください」が正しいという主張は見たことがない気がするので「ご教示ください」と書けばトラブルは減る気がします。
意味なんてどうでもいいんです。
意図を伝えるためなら「教えてください」のほうがもっと良いと思います。
最後に編集したユーザー ISLe on 2010年11月29日(月) 17:40 [ 編集 2 回目 ]
RE: 正しい日本語
違う次元の議論を混同しすぎだと考えます。
言葉が通じることと、それが「正しい」ことというのはまったく別の話ですし、言葉が「本来どう意味か」ということと、それが「正しい」ことも別の話だと考えられます。
もちろん何を「正しい」とするかは議論のあるところでしょう。
僕は自分が正しい日本語を使っているとは思っていませんし、言葉が時代によって変わることや、今使っている言葉の意味が昔と違うこと(もちろん国語辞典の意味とも)も多々あることを認めます。しかし「言葉をどう使うべきか」という議論はするべきだと考えていますし、そう思わない方でもそれをする人間をけなすのは間違っていると思います
言葉が通じることと、それが「正しい」ことというのはまったく別の話ですし、言葉が「本来どう意味か」ということと、それが「正しい」ことも別の話だと考えられます。
もちろん何を「正しい」とするかは議論のあるところでしょう。
僕は自分が正しい日本語を使っているとは思っていませんし、言葉が時代によって変わることや、今使っている言葉の意味が昔と違うこと(もちろん国語辞典の意味とも)も多々あることを認めます。しかし「言葉をどう使うべきか」という議論はするべきだと考えていますし、そう思わない方でもそれをする人間をけなすのは間違っていると思います
Re: 正しい日本語
>shiro4ao さん
それはちょっと行き過ぎな気もしますが。 コミュツールだからこそ、様々なシーンで使い分けられるべきだと思いますし、相応のお作法はあるかと思います。
>naohiro19 さん
>以上を踏まえて、教えるほうは「教示」で、教えてもらうほうは「教授」ですね。
これは新しい解釈ですね。 生徒が先生にご教授賜るのは別に間違ってはいない気がしますが、どうなんでしょう。
>ISLe さん
大いに賛同します。 以前某メーリングリストで Warning の読み・表記について「ワーニング派」と「ウォーニング派」に別れて宗教戦争が勃発たのを見て可能な限り「警告」と書くようにしています。
私も普段は出来るだけ如才ない言葉遣いを心がけてはいますが、時々のーみそに奇妙な日本語処理系を搭載しておられる方がいて油断なりません。
>GRAM さん
その「正しい」は何の事を言っているのでしょうか。 ちょっと分かりません。
結局のところ正しい日本語なんて無いんだと思いますよ。
コミュツールなわけですから、円滑なコミュニケーションを図る事を目的に使われるものだと。
上司や目上の人にタメ口で話しをしようものなら、コミュニケーションどころじゃないですよね。 つまりはそういうことかと思います。
ただ、「ご教示」を使えと声を大にして言っている方々の根拠は「元来の意味がそうだから」なんですよね。
元々の意味から大きく外れた言葉なんて他にも色々あるのに、これだけは頑なに「ご教示」を使えと言い張ります。
何故ですか、親の仇なのですか、信仰している神様がそうおっしゃったのですか。 わかりません。
どうしてここだけは頑として譲って貰えないのでしょうか。
それはちょっと行き過ぎな気もしますが。 コミュツールだからこそ、様々なシーンで使い分けられるべきだと思いますし、相応のお作法はあるかと思います。
>naohiro19 さん
>以上を踏まえて、教えるほうは「教示」で、教えてもらうほうは「教授」ですね。
これは新しい解釈ですね。 生徒が先生にご教授賜るのは別に間違ってはいない気がしますが、どうなんでしょう。
>ISLe さん
大いに賛同します。 以前某メーリングリストで Warning の読み・表記について「ワーニング派」と「ウォーニング派」に別れて宗教戦争が勃発たのを見て可能な限り「警告」と書くようにしています。
私も普段は出来るだけ如才ない言葉遣いを心がけてはいますが、時々のーみそに奇妙な日本語処理系を搭載しておられる方がいて油断なりません。
>GRAM さん
その「正しい」は何の事を言っているのでしょうか。 ちょっと分かりません。
結局のところ正しい日本語なんて無いんだと思いますよ。
コミュツールなわけですから、円滑なコミュニケーションを図る事を目的に使われるものだと。
上司や目上の人にタメ口で話しをしようものなら、コミュニケーションどころじゃないですよね。 つまりはそういうことかと思います。
ただ、「ご教示」を使えと声を大にして言っている方々の根拠は「元来の意味がそうだから」なんですよね。
元々の意味から大きく外れた言葉なんて他にも色々あるのに、これだけは頑なに「ご教示」を使えと言い張ります。
何故ですか、親の仇なのですか、信仰している神様がそうおっしゃったのですか。 わかりません。
どうしてここだけは頑として譲って貰えないのでしょうか。
Re: 正しい日本語
「ご教示」の件は…
いわゆる教えて君にあたるのでしょうか、
まあ、あまりよろしくない質問者がいたとして、
その方が無理して丁寧なことば、まさにご教示などですね、
を使って、取り繕っているのにも関わらず、
それが誤用であるのが滑稽にみえるので、
浅はかさに皮肉を与える意味でも、
指摘されることが多いのではないでしょうか。
まあ、指摘された質問者が、
一種のトラウマみたいなものを持ち、
頑として譲らんとしているのかも知れませんが。
いわゆる教えて君にあたるのでしょうか、
まあ、あまりよろしくない質問者がいたとして、
その方が無理して丁寧なことば、まさにご教示などですね、
を使って、取り繕っているのにも関わらず、
それが誤用であるのが滑稽にみえるので、
浅はかさに皮肉を与える意味でも、
指摘されることが多いのではないでしょうか。
まあ、指摘された質問者が、
一種のトラウマみたいなものを持ち、
頑として譲らんとしているのかも知れませんが。
Re: 正しい日本語
「ご教示」は誤用ではないです。MNS さんが書きました:「ご教示」の件は…
いわゆる教えて君にあたるのでしょうか、
「ご教授」ではなく「ご教示」を使えと主張するひとがいるのです。
わたし自身は
「初心者です。ご教授ください。」
と書いてあると
「情報を提供する日本語力もないので1から10まで手取り足取り教えてください」
とTakeの意志しか無いんだな、と勝手に悪意ある解釈をしています。
悪意ある回答は(できるだけ)しませんがGiveの無い質問に回答したいとは思いませんね。
ワーニングはちょっと…英語の発音に近い表記をするというのがいまどきの流れみたいですし。
#世界大戦はワールドワー?
最後に編集したユーザー ISLe on 2010年11月29日(月) 21:40 [ 編集 1 回目 ]
RE: 正しい日本語
某掲示板でどんな議論がなされていたか興味もありませんが、「元来の意味が何か」という観点のみから「言葉の正しさ」を議論するのがあほらしい、という意見は僕も納得します。
「本当に100%正しい言葉」というものがあるかどうか?という議論は、言葉以前にすべてもののについて「本質」というものが存在するのかという何百年も解決しない議論があるので、これも100歩譲って「ない」としていいかもしれません。
…それでも、「ご教示」と「ご教授」を使い分けるべきかという話は、へろリさんのおっしゃる「コミュニケーションの手段としての言葉」という観点に限っても異論はあるでしょう。
所詮100%自分の考えを相手に伝えることなどできないので、コミュニケーションには常に解釈の問題がついてまわります。
この場合で言う「正しさ」の尺度として例えば「相手にどの程度意思が正確に伝えられるか」というものを挙げたとします。
そういう視点からみれば(もちろん双方が日本語を十分に話せるとして)「ご教授」に「ご教示」の意味を含めることは当然「言葉の正しさ」を損なう事になるでしょう。(単純に情報量が減ってしまうため)
もっとわかりやすい例では最近(僕も含め)「素晴らしい」「かっこいい」「美しい」「キレイ」「非常に」「とても」などをまとめて「すごい」と言いますが本当に良いことなのか?などの議論があげられます。
もちろん逆の例もあります。英語の「strike」を日本語では「ストライキ」「ストライク」と明確に使い分けこの場合の「正しさ」を向上させています。
もちろんこういった観点からみればワーニングだかウォーニングだかなんてくだらない争いでしょうし、実際同意見です。
そしてもう一度繰り返しますが「元来がどういう意味か」というのは多くの場合どうでもいいことで、事実それを挙げるのは実際に起こりうる問題を説明するため、という事が(僕の知る限り)普通です。
言葉を正確に使うべきだと主張する人々の(もちろん逆も含め)の多くはもっと高いレベルで議論しています
「本当に100%正しい言葉」というものがあるかどうか?という議論は、言葉以前にすべてもののについて「本質」というものが存在するのかという何百年も解決しない議論があるので、これも100歩譲って「ない」としていいかもしれません。
…それでも、「ご教示」と「ご教授」を使い分けるべきかという話は、へろリさんのおっしゃる「コミュニケーションの手段としての言葉」という観点に限っても異論はあるでしょう。
所詮100%自分の考えを相手に伝えることなどできないので、コミュニケーションには常に解釈の問題がついてまわります。
この場合で言う「正しさ」の尺度として例えば「相手にどの程度意思が正確に伝えられるか」というものを挙げたとします。
そういう視点からみれば(もちろん双方が日本語を十分に話せるとして)「ご教授」に「ご教示」の意味を含めることは当然「言葉の正しさ」を損なう事になるでしょう。(単純に情報量が減ってしまうため)
もっとわかりやすい例では最近(僕も含め)「素晴らしい」「かっこいい」「美しい」「キレイ」「非常に」「とても」などをまとめて「すごい」と言いますが本当に良いことなのか?などの議論があげられます。
もちろん逆の例もあります。英語の「strike」を日本語では「ストライキ」「ストライク」と明確に使い分けこの場合の「正しさ」を向上させています。
もちろんこういった観点からみればワーニングだかウォーニングだかなんてくだらない争いでしょうし、実際同意見です。
そしてもう一度繰り返しますが「元来がどういう意味か」というのは多くの場合どうでもいいことで、事実それを挙げるのは実際に起こりうる問題を説明するため、という事が(僕の知る限り)普通です。
言葉を正確に使うべきだと主張する人々の(もちろん逆も含め)の多くはもっと高いレベルで議論しています
最後に編集したユーザー GRAM on 2010年11月30日(火) 01:19 [ 編集 1 回目 ]
Re: 正しい日本語
>GRAM さん
>「元来の意味が何か」という観点のみから「言葉の正しさ」を議論するのがあほらしい、という意見は僕も納得します。
私はあほらしいとは思いませんよ。 ただ、元々こういう意味なのだから、これを使えと言っている人たちが、元々の意味と違った言葉を使っているのはどうだろう? という事です。
それ以外の言葉は許容するのに、どうして、教示・教授に限ってのみ固執し目の敵にするのかがわかりません。
>…それでも、「ご教示」と「ご教授」を使い分けるべきかという話は、へろリさんのおっしゃる「コミュニケーションの手段としての言葉」という観点に限っても異論はあるでしょう。
ごめんなさい。 誰がどのような異論をもっているのでしょう。 ちょっと分かりません。
私は別に使い分けるべきだとは言いませんし、一緒たくにしても問題ないとも言いません。 ただ、コミュニケーションツールとして使用するのであれば、相手の脳内日本語処理系の仕様に合わせる必要はある。 とは言いますが。
>そういう視点からみれば(もちろん双方が日本語を十分に話せるとして)「ご教授」に「ご教示」の意味を含めることは当然「言葉の正しさ」を損なう事になるでしょう。
損なったところで何か問題でしょうか。 多くの場合「教えてください」と言い換えても全く問題ない場合がほとんどです。
>そしてもう一度繰り返しますが「元来がどういう意味か」というのは多くの場合どうでもいいことで
これには大いに賛同しますよ。 ただ、正しい日本語を叫んでいる人達はそうは思ってないようで。 個人的には「ご教授」の元々の意味がなんであろうとどうでもいいと思ってます。
そして、さらに繰り返して言いますが、元来の意味を尊重する原理主義者が、元来の意味からとは違う意味で他の多くの言葉を使用しているのはどうだろう。 と言っているわけです。
私も、「うたのさわりの部分」と言えば、「歌い出し」という意味で使いますし、「しおどき」と言えば、「引き際」の意味で使います。
そうやって、多くの言葉が別の意味で使われ始めた事は許しているのだから、「ご教授」に「ご教示」の意味を持たせて使う人がいたところで、最近ではそういう風に表現するのだな。 と、考えないのは何故だ。 ということですね。
「ご教授」「ご教示」の使い分けにそれほど拘るのか、理解に苦しみます。
>言葉を正確に使うべきだと主張する人々の(もちろん逆も含め)の多くはもっと高いレベルで議論しています
どのあたりのレベルでしょう。
>「元来の意味が何か」という観点のみから「言葉の正しさ」を議論するのがあほらしい、という意見は僕も納得します。
私はあほらしいとは思いませんよ。 ただ、元々こういう意味なのだから、これを使えと言っている人たちが、元々の意味と違った言葉を使っているのはどうだろう? という事です。
それ以外の言葉は許容するのに、どうして、教示・教授に限ってのみ固執し目の敵にするのかがわかりません。
>…それでも、「ご教示」と「ご教授」を使い分けるべきかという話は、へろリさんのおっしゃる「コミュニケーションの手段としての言葉」という観点に限っても異論はあるでしょう。
ごめんなさい。 誰がどのような異論をもっているのでしょう。 ちょっと分かりません。
私は別に使い分けるべきだとは言いませんし、一緒たくにしても問題ないとも言いません。 ただ、コミュニケーションツールとして使用するのであれば、相手の脳内日本語処理系の仕様に合わせる必要はある。 とは言いますが。
>そういう視点からみれば(もちろん双方が日本語を十分に話せるとして)「ご教授」に「ご教示」の意味を含めることは当然「言葉の正しさ」を損なう事になるでしょう。
損なったところで何か問題でしょうか。 多くの場合「教えてください」と言い換えても全く問題ない場合がほとんどです。
>そしてもう一度繰り返しますが「元来がどういう意味か」というのは多くの場合どうでもいいことで
これには大いに賛同しますよ。 ただ、正しい日本語を叫んでいる人達はそうは思ってないようで。 個人的には「ご教授」の元々の意味がなんであろうとどうでもいいと思ってます。
そして、さらに繰り返して言いますが、元来の意味を尊重する原理主義者が、元来の意味からとは違う意味で他の多くの言葉を使用しているのはどうだろう。 と言っているわけです。
私も、「うたのさわりの部分」と言えば、「歌い出し」という意味で使いますし、「しおどき」と言えば、「引き際」の意味で使います。
そうやって、多くの言葉が別の意味で使われ始めた事は許しているのだから、「ご教授」に「ご教示」の意味を持たせて使う人がいたところで、最近ではそういう風に表現するのだな。 と、考えないのは何故だ。 ということですね。
「ご教授」「ご教示」の使い分けにそれほど拘るのか、理解に苦しみます。
>言葉を正確に使うべきだと主張する人々の(もちろん逆も含め)の多くはもっと高いレベルで議論しています
どのあたりのレベルでしょう。