ゲームを遊ぶとき、プレイヤーは何を「面白い」と感じているのか、を考察していきます。
前回の記事では曖昧だったソシャゲについても触れたいと思います。
先に言ってしまうと、僕の意見は凡そ以下の記事に依っています:
http://diamond.jp/articles/-/15594?page=6
経済系のゲーム記事にしては珍しく信用のおけるものです。
結論としては、「ゲームは、人生である」ということを言いたいのですが。
まず、ゲームには「努力」と「報酬」という二つの大きな要素がある、というのは変わりありません。
しかし「ゲーム」の大きな特徴は、「努力が失敗する可能性がある」という点です。
ゲームはプレイアブルです。当然です。
だから、努力しても能力が足りなければ失敗します。
仮に失敗したとして、プレイヤーはどうするでしょう?
反省して再挑戦するか、さもなくば投げ出すかのどちらかです。
この時再挑戦すれば、いずれは目標に到達できる可能性があります。
(もちろん余りに能力を超えたことは出来ません――これは絶対に万人受けするゲームがない理由であり、ゲームの哀しい所です)
で、結局努力が実ると、プレイヤーは「努力が報われたのだ!」という達成感を得ます。
この構造が、ゲームの面白さの本質です。(重ね重ね前の記事では失礼しました…)
失敗を重ねて、努力が実ることで、自分の中で達成感が得られる。
これはまさに人生そのものではないでしょうか。
続いてソシャゲについて見てみます。ソーシャルゲームの特徴は、
通常のゲームの「努力」が「課金」に置き換わっていることに加えて、
その努力(課金)が必ず成功すること。
他者との努力(課金)の量の格差だけによって(協力であれ敵対であれ)評価されること。
これらのような点が挙げられます。
課金は嘘をつきません。
課金すれば必ず、敵対であれば優越感、協力であれば連帯感を生み出してくれます。
それが確かめられると、より大きな快楽のためにプレイヤー(?)はますます課金量を増していきます。
字面だけ見てもいかにも「麻薬」のような存在であり、実際そうであるのはよく知られるところです。
まとめます。
本当のゲームとは、人生の如きものである。
人生がそうであるように、失敗を重ねて人は成長する。
そこに無量の喜びを覚えるのが、人生そしてゲームの醍醐味である。
そのゲームが面白いのは何故か?改訂版
Re: そのゲームが面白いのは何故か?改訂版
ビジネスモデルの批判をしたいなら最初からそうすればいいのであって、
「ゲームとは呼べない」とか「創造性がない」とかゲームの質の問題にすり替えているからおかしな理屈になってしまうんですよ。
「ゲームとは呼べない」とか「創造性がない」とかゲームの質の問題にすり替えているからおかしな理屈になってしまうんですよ。
最後に編集したユーザー h2so5 on 2013年8月14日(水) 17:16 [ 編集 1 回目 ]
Re: そのゲームが面白いのは何故か?改訂版
わたしは引用先の記事を読んでビジネスモデルの違いでしかないと思ったのですが。
課金について誤解をされているようです。
一部のソーシャルゲームで問題になったシステムがすべてではないですよ。
それは引用先の記事にも書かれていますよね。
課金について誤解をされているようです。
一部のソーシャルゲームで問題になったシステムがすべてではないですよ。
それは引用先の記事にも書かれていますよね。
Re: そのゲームが面白いのは何故か?改訂版
ああ、成程。
そう言われると、僕は「ビジネスモデル」の何たるかも理解していないようです。ゲームの質の話と混同するあたり。
「ビジネスモデル」と言うと、ゲームの内容とは無縁な、純粋に経済的な話題になるのでしょうか?
ゲームを単なる一つの商品として見て議論すべきなのでしょうか? 僕は経済に疎いので・・・
経済に疎いなら口を出すなと言われればその通りでした。申し訳ございません。
そうですね、基礎から成ってないということにも気付かされましたし、次にソシャゲに触れるのは
ちゃんと経済を勉強してからになりそうで、これは僕がソシャゲ批判をする権利が一生無いのとほぼ同義です。
そう言われると、僕は「ビジネスモデル」の何たるかも理解していないようです。ゲームの質の話と混同するあたり。
「ビジネスモデル」と言うと、ゲームの内容とは無縁な、純粋に経済的な話題になるのでしょうか?
ゲームを単なる一つの商品として見て議論すべきなのでしょうか? 僕は経済に疎いので・・・
経済に疎いなら口を出すなと言われればその通りでした。申し訳ございません。
そうですね、基礎から成ってないということにも気付かされましたし、次にソシャゲに触れるのは
ちゃんと経済を勉強してからになりそうで、これは僕がソシャゲ批判をする権利が一生無いのとほぼ同義です。
Re: そのゲームが面白いのは何故か?改訂版
前のコメントはh2so5さんに対する回答です。
>ISLeさん
引用先の記事には前編
http://diamond.jp/articles/-/15573?page=3
があって、そこで岩田社長が「クリエイティブの労力への対価」について語っておられます。
という前提で、僕は未だに誤解をしていることが判明しました。
前のコメントにもあるようにひとたび出なおして来ます。
[追記]
改めてこの記事を読むと、
「任天堂の価値観は理解できたが、ソーシャルゲームビジネスが儲かっていることは冒頭で述べたとおり事実であるし、やらない理由にはならない。」
とありますね。
早い話が、僕は価値観の違いを無理にビジネス批判につなげたが為におかしくなったようです。
価値観を否定すれば全体としてそれが間違っていると言える、と考えたことが間違いでした。
そういうわけで、ビジネスモデルに関わる話は完全に記事に譲るしかなさそうです。
力が及ばずご迷惑おかけしました。
>ISLeさん
引用先の記事には前編
http://diamond.jp/articles/-/15573?page=3
があって、そこで岩田社長が「クリエイティブの労力への対価」について語っておられます。
という前提で、僕は未だに誤解をしていることが判明しました。
前のコメントにもあるようにひとたび出なおして来ます。
[追記]
改めてこの記事を読むと、
「任天堂の価値観は理解できたが、ソーシャルゲームビジネスが儲かっていることは冒頭で述べたとおり事実であるし、やらない理由にはならない。」
とありますね。
早い話が、僕は価値観の違いを無理にビジネス批判につなげたが為におかしくなったようです。
価値観を否定すれば全体としてそれが間違っていると言える、と考えたことが間違いでした。
そういうわけで、ビジネスモデルに関わる話は完全に記事に譲るしかなさそうです。
力が及ばずご迷惑おかけしました。
最後に編集したユーザー SUE on 2013年8月14日(水) 17:46 [ 編集 1 回目 ]