[追記]後で思い出したのですが、この記事には圧倒的誤謬が含まれております。大変失礼しました。
また後でまともな内容に書き直します。ご迷惑おかけしました。
(前の音楽理論の話はゲーム制作作業に専念するため一旦中断してますが、まとまったら後で書きます。
この日記はゲーム制作をする中で備忘録的に書いておきます)
結論から言えば、「努力」と「報酬」の繰り返しです。これはどのジャンルでも一般に言えます。
また、プレイヤーに面白いと思わせるものの本質であると同時に、プレイヤーを継続してゲームに取り組ませる原動力でもあります。
ジャンルに関わらず、一般に、プレイヤーはゲーム内で何らかの行動をとります。するとゲームは何らかの報酬を与えます。
報酬の種類は様々です。ゲーム内通貨やアイテムとか、経験値とか。
目に見えないものでも可です。隠しパラメータとか。
もっと言うと、誰にも数値化できないものでも可です。コントローラーの操作スキルとかです。
次に、報酬を得たプレイヤーはそれを用いて更に大きな行動をとれるようになります。その報酬も得たプレイヤーは・・・
と、このサイクルは永遠に続いていきます。
このように、報酬への期待からくる努力と、努力に見合った報酬とで、プレイヤーは継続してゲームに取り組むことになります。
この「努力」と「報酬」の間の確かな関係に、プレイヤーは「面白さ」を見出すのです。
で、言いたいことはここで終わりなのですが、蛇足をば。
ちょっと前から世間様でも騒がれている「ソシャゲ」(勿論、課金等による到底ゲームと呼べない類の一部のゲームを指します)のお話です。
この理屈を用いれば、十分でなくとも必要な批判を加えることができます。即ち、この努力報酬の図式がソシャゲだと
「努力・・・課金すること」「報酬・・・他者(主に非課金者)を蹴落とすこと」になります。
基本的にこういったゲームにおいて、課金する以外の努力が価値を成すようなバランス調整はされていません。
格ゲーだったら、1クレ追加で突っ込むと一撃必殺が出せる、とかそういう感じです。しかもそれを受けても逆に200円突っ込めば無傷で耐えられるとか。
まあ前述したように十分ではないですが、良識を持ってみればこれが異常なのは判るでしょう。
もっと蛇足。お気づきの方もいるかもですが、この考えはとても音楽的です。
「緊張」は「努力」に、「弛緩」は「報酬」にそのまま置き換えることができます。
逆に、例えばRPGの戦闘中は「緊張」していて、敵を倒してGOLDを得るのが「弛緩」だと考えると、これまた納得がいきます。
はっきりとしたことは言えませんが、面白いなと思ったので書いてみました。
オフトピック
すると個人的に研究したいのは、持論の音楽理論でいう「空間」にあたるのは何か、という話です。
演出、ストーリー、色々ありますが、「世界観」がゲームの中で特に重要だと考えているので、この辺に目星をつけていますが・・・
まあ、キリが無いので放置しておきます。暇だったら考察に協力していただきたいです。
演出、ストーリー、色々ありますが、「世界観」がゲームの中で特に重要だと考えているので、この辺に目星をつけていますが・・・
まあ、キリが無いので放置しておきます。暇だったら考察に協力していただきたいです。